織田さんとのご縁で出来た、アイヌハートさん。

この方のblogは本当に綺麗な絵や写真がイッパイです。

扱われているブルーロータスの精油のように。

この精油は僕も景子もはまりまくっています。

そしてこの方のblogに僕も大好きな和尚の言葉がのっていました。

なんたってこのような事をしていると、気づくと自分も自分を説明しようと自我が出ています。

どんなにかわりもんでも、かわりもんとして、自分に正直に生きると、決めてからは、大分ぶれなくはなりましたが、まだまだでんな。

其処にこそ中心があるのだけは、微かにつかみはじめています。

それにしても昨日のの黄砂は、凄かった。

そして突然寒くなりました。

昼は二十五度もあったのに。

さて今日は朝の7時から蓮尾兄貴と、打ち合わせ。

その後は玄米ユニットさんのシナプスという、気持ちを開く体操に応援団サーで飛び入り。

楽しんで頂く為にアフロ坊さんで登場します。

ついでに山形から持ってきた伏流水を飲んで頂いて、ご協力を仰ぎます。




では、アイヌハートさんのblogにのっていた和尚の話。

きっと、アイヌハートさんのお知り合いの方のフェイスブックに載っていたものを、アイヌハートさんも素敵と感じお載せになられたと思います。シェア〜します。

そして僕のミッションが成就するために、自分に一番伝えたいお言葉です。




仏陀にはスブーティという名前の弟子がいた。 弟子たちの何人かは本当に稀な者たちだった。 スブーティは覚者(ブッダ)の境地の瀬戸際に立っていた 希有な者たちのひとりだった。 あとわずか一歩で、 彼はブッダになるところだった。

彼はわが家に帰りつつあった。 刻一刻とわが家に近づきつつあった。 ... 自我(エゴ)が消え 神が生まれる中心へと、 あなたが死んで 全体が生まれる中心へと どんどん近づきつつあった。

中心に到ると、 部分は全体のなかに消え、 調和のとれた宇宙が生まれ、 あなたはもはや死を恐れ身震いしている 分離した存在ではなくなる。 そうなったら、 あなたはこの<存在>の 永遠の遊戯の一部になる。

スブーティはまさに瀬戸際にいた。 彼は仏陀の弟子のなかで 最も静かな者たちのひとりだった。 あまりに静かだったので、 ほとんど存在していないかのようだった、 と経典は伝えている。 彼がやって来ても、 誰も注意を払わなかった。 彼が通り過ぎても、 誰も彼が通り過ぎたことに気づかなかった。 彼はじつに静かなそよ風のようだった……

ふつうあなたは 注目を浴びたがっている。 注目されないと、 あなたは傷ついてしまう。 あなたは注目を浴びたい。

注目をされたがっているのは いったい誰なのだろう?

自我(エゴ)が注目を浴びたがっている。 自我は注目を浴びることで生きている。

誰にも相手にされなかったら――あなたがやって来ても誰も気づかなかったら、 あなたが通り過ぎてもまるで相手にされず、 誰も「おはよう、元気かい?」 と声をかけなかったら――あなたは傷ついてしまう。 あなたはこのように考えはじめる。 「私は無視されている。 私が誰であるかをあの連中に教えてやらなければ」

自我はつねに注目を浴びたがっている。

スブーティはとても静かだった。 注目を浴びたいという 彼の欲望は消えてしまっていた。 注目を浴びたいという欲望が消えたとたん、 あなたの実存からは いっさいの政治が消える。

そうなったら あなたは宗教的になっている。 そうなったら あなたは自分が何者でもないことに すっかりくつろいでいる。 そうなったら あなたはまったく異なった生を生きる。 そうなったら あなたはとても静かに生きるので、 どんな物音も立てず、 さざ波ひとつ立てず、 一度も去来したことがないかのように 去来してゆく。

スブーティはいながらにしていなかった……

実のところ、 真に存在する瞬間、 あなたは自我(エゴ)という観念を そっくり落としてしまう。

人々が自我という観念をもち歩いているのは、 彼らが存在していないからだ。 この逆説を理解しようとしてみなさい。

存在していない者たちには自負心がある。 彼らは何がなんでも自負心をもたざるをえない。 彼らは世間に向かって自分を証明しなければならず、 絶えず演技をしつづけている。 演技をしなければ、 自分が誰でもない者になってしまうことを 知っているからだ。 彼らは演技をし、 声を張りあげ、 騒ぎ立て、 他人の目を引きつけなければならない。

アドルフ・ヒトラー、 ジンギス・カーン、 チムールや歴代の無数の愚かな政治家たち、 彼らがしてきたことは、 人々の注意を もっともっと自分に引きつけることだった。 こういった連中は真に存在していない人々だ。

存在している人々は みずからの実存に深く満足している。

他人が注目するかどうかなど誰がかまうだろう?

彼らは自分だけで満ち足りている。 自分自身で充分に満足している。

だから、 これはパラドックスだ。 存在していない人間は、 自分を大きく見せようと努力し、 特別な誰かであるふりをする。

存在している人間はふりをせず、 自惚れず、とても静かな存在になる。

彼はあたかもいないかのように存在していた……

そして不在のなかではじめて 真の臨在(プレゼンス)が現れてくる。 人物が消え失せて、 臨在が現れてくる。

彼はゆっくりと溶けてゆき、 人物として消え去った……

それが起こるとき、 その奇蹟が起こるとき、 そのまさに不在そのものが 光輝く臨在となる。

スブーティも樹の下に坐っていたが、 瞑想すらもしていなかった。 他の者たちは瞑想をしていたが、 彼はただ何もせずそこに坐っていた。 それは最も高度な瞑想の姿だった……

瞑想をするのは、 あくまで初心者にすぎない。 初心者は瞑想をしなければならない。

だが、 瞑想を理解した者は するという見地でとらえることさえできない。

何かをしたとたん、 あなたが揺れ動くからだ。 何かをしたとたん、 あなたは緊張する。 何かをしたとたん、 自我が再び裏口からしのび込む――行為とともに 行為する者が現れてくるからだ。

瞑想とは無為の境地だ。

確かに最初のうちはやらなければならない。

だが、 ゆっくりと瞑想が深まるにつれ、 理解が生まれ、 行為は消えてゆく。 そうなったら 瞑想は行為ではなく、 実存のありようになっている。

行為は所有の世界の一部だ。 行為は所有のもうひとつの側面だ。 もちたければ、 行為しなければならない。 もちたければ、 行為せざるをえない。

数限りない人々が 行為と所有の世界にとどまっている。

これら二つの彼方にもうひとつの世界――存在(ビーイング)の世界がある。

そこではあなたは何ももたず、 行為の主体でもない。

すべては完璧に静かだ。 すべては完全に受動的であり、 さざ波ひとつ立っていない。

だから彼は瞑想をしていたのではない、 いいかね。 彼は何もせずにただ坐っていただけだ。

すると突然、 彼のまわりに花が舞い落ちはじめた。 それはふつうの花ではなかった。 この世の花ではなかった。 地上の花ではなかった。

それらは樹々から落ちてくるのではなく、 空から舞い降りてきた。 いずこからともなく、忽然と現れてきた。

彼はこれほど美しく、鮮やかで、 かぐわしい花を見たことがなかった。 それらは彼方の花、黄金の華だった。 彼が畏敬の念に打たれ、 驚嘆したのも当然だ。

すると神々が 「あなたの空(くう)についての講話は 何とすばらしいのでしょう」 とささやきかけてくる声が聞こえてきた。

彼はすっかり当惑してしまった。 「空についての講話ですって? 私は空について話してなどいません」 とスブーティは言った。

「あなたは空について話さなかったし、 私たちは空について聴きませんでした」 と神々は応えた。 「それが真の空なのです」

そして花がスブーティの上に 雨のように降り注いだ。

これは私がこれまでに出会った 最も美しい物語のひとつだ。 そこには深遠な意味が隠されている。

あなたが沈黙していれば、 完全に沈黙していれば、 <存在>があなたの上に降り注ぎはじめる。 祝福が雨のように降り注いでくる。

あなたが沈黙していれば、 あなたが瞑想の状態にあり、 何もせずただ存在しているなら、 全存在が、その恩寵のすべて、 その美と祝福のすべてを あなたの上に結集させる。

これがイエスが 「至福の境地」と呼んでいる状態だ。 はじめてあなたは<存在>の 荘厳な輝きに気づくようになる。

そうなったら、 一瞬一瞬が永遠であり、 息をすることでさえすばらしい喜び、 すばらしい祝祭になる。

あなたが消えた瞬間、 苦しみも消える。 苦しみは自我の影だ。

が、 祝福は自然な現象であり、 それはあなたがからっぽになったとたんに、 ひとりでに起こってくる。 全存在が押し寄せ、爆発する。

ルートヴィッヒ・ヴィットゲンシュタインは 「神秘的なのは世界の成り立ちではなく、 それが存在するということだ」 と言っている。

世界が存在すること自体が神秘だ。

どこか他の場所に出かけてゆく必要はない。

神秘は隠されていない。 神秘は至るところにある。 世界が存在すること自体が神秘だ!

神秘を探すために深く掘り下げる必要はない。

神秘は至るところにある。 深みにだけでなく表面にもある。

ただそれを感じるハートがあればいい。 ただいつでも呼応できるように 開いている実存があればいい。 ただ油断なく醒めていれば――努力や緊張をいっさいともなわずに 油断なく醒めていればいい。

必要なのは瞑想の状態だけだ。 それがあれば、 <存在>の恩恵が雨のように降り注ぎはじめる。

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